静岡 塾への対抗

本来構造協議とは、その性格上、期限をきらず、じっくりと時間をかけてやるものだということ、何より、アメリカの対日貿易赤字の八0パーセント以上はアメリカ自身の問題だということが、日米交渉の当事者聞のコンセンサスになっていたのだが、今年になって、早急に日本改造の成果を示せということになり、貿易赤字問題が吹っ飛んでしまった。 ポトマック河畔ならぬ、隅田川を見下ろす野村総研のオィスで、主任研究員のO磯正美に会った。
O磯は、日米関係のエキスパートで国際関係の本質に切り込んだ分析で知られるアナリストだ。 「日本は、異質で、身勝手なル−ルで動き回って流麗山を振りまいている。
こんな日本は改造するか、封じ込めるしかないという風潮が強まったのは、やはりアローズやウォルレンなど、リヴィジョニストなどが台頭したためでしょう」それまでは、人種差別ギリギリの、いわばロッカール−ムの愚痴でしかなかった日本叩きが、リヴィジョニストによって論理化され、公然と主張できるようになったとい、ことなのだろうか。 「それよりも重要なのは、構造協議はアメリカにとって、日本を内政化してしまうものであるということ。
しかも、それを平気でやってしまっていることです。 リヴィジョニストが、日本が異質である、という。
こんなのあたり前ですよ。 だからケシカラン、改造せよとか、封じ込めてしまえというのは、まさに日本を内政化してしまっている証拠ですよ」たしかに構造協議でのアメリカの要求は、日本改造要求といってよく、内容のよし、あし、ともかく少なくとも内政干渉、いや、O磯の指摘どおり、本来は外交問題であるはずの対日関係の露骨な内政佑だ。
いったい日本は、いつからアメリカに内政化されてしまったのか。 「そのきっかけはSX問題ですよ」O磯は「構造協議は、経済摩擦だと捉えられているけれど、日米安保の乳みで、火を噴いたのがSX事件なのだ」と指摘した。

「あまり認識されていないけれど、SX事件で、日本とアメリカの関係に二大変化が起きた。 犯してはならないル−ル、壁が破られた。
一つは日米両国の責任者、外務省と防衛庁長官が、アメリカ側と正式に調印した協定が、あっさりと破られてしまったこと。 最高責任者が調印した、国際的な協定をひっくり返すなんて前代未聞です。
二つ日は、レーガン政権のときまでは、防衛問題は貿易、経済とは別で、完全に切り離すという原則になっていたのが破られてしまったこと。 絶対のタブ−二つが崩され、しかも当たり前のようになってしまった。
ということは、つまり日本が内政化されたことの象徴というべきで、壊してはならない原則、壁が崩されたところから、構造協議の突っ走りが始まるわけです」交渉では犯してはならない原則が壊されて、日本が内政化され、構造協議を変質させた。 O磯のこうした指摘が事実だとすれば、アメリカは何のために、いかなる思惑で原則を壊したか。
だが、そのことを詮索する前に、「SX事件」なるものの輪郭、経緯をたどろう。 SX次期支援戦闘機の問題が新聞を賑わし始めたのは八五年の秋口からで、当時、新聞で読むかぎりでは、自主開発、つまり現在の後継機種は国産でいくという方針だったようだ。
八六年十二月二十六日に聞かれた安全保障会議で、K原祐幸防衛庁長官が、者たちの聞に波紋を起こした。 もっとも、その後も防衛庁の制服組、技術関係者、三菱重工などのメーカーは、あくまで自主開発リ国産路線に固執して、八七年五月二十日には、関係メーカーによるSX民間合同研究会が、新聞記者たちを集めて、「SXは自主開発国産で十分可能だ」というデモンストレーションを行った。
その直後に事態が急変した。 K原長官が、矢崎新二事務次官、西広整輝防衛局長、O村平空幕長などを別々に部屋に呼んで怒鳴りつけ、強引に日米共同開発に転換させたのだ。
八八年十一月二十九日、SXを共同開発するための政府間取り決めがまとまって、日米両国政府の責任者が調印した。 この取り決めは交換公文と細日覚書(細日取り決めM0U)の二つの文書からなっていて、前者は宇野外相とマンスィールド大使が、後者は瓦防衛庁長官とカルーチ国防長官が署名した。

ここまでの経緯をみただけでも、いくつも疑問が起きる。 八六年十二月の安全保障会議で、なぜ、K原長官が外国との共同開発を検討項日に入れたいと発言したのか。
なぜ、八七年五月のメーカーグループのデモンストレーションの直後に、防衛庁の幹部たちを怒鳴りつけて強引に日米共同開発に転換させたのか。 防衛庁元技術研究本部長のI良三にこれら疑問をぶつけたことがあった。
まず、SXが当初自主開発国産でいくことを日指した理由を質した。 「戦後日本が初めてつくった国産戦闘機ですからね。
超音速の戦闘機などつくれるのかという議論があったのですが、それを立派につくった。 SXはその後継機なのですから、ごく自然に国産を考えたのです。
最初が国産で、次はわざわざアメリカ改造開発するなんて、そっちのほうが突飛じゃないですか」その自主開発路線が、途中で突飛な共同開発に変わるわけだ。 なぜなのか。
「最終的な決定というのは、大臣であり、次官であり、われわれはあくまで技術の立場としての主張、分析だけですから。 こうなった、と、結果を聞かされただけです」じつはその「結果」への経緯を八七年の五月にK原長官から怒鳴られた防衛庁の幹円が揺さぶる日米安保部の一人に聞いたことがある。
「国内開発がいいか、悪いか、きみらは、ただ技術、兵器としてしか問題を考えていない。 大事なのは、兵器としてどちらが優れているかということではなく、日米関係。
日米関係を損なわない、これが一番大事なのだ。 きみたちは与えられた兵器で戦う、きみたちの任務で、兵器を与えるのは、どんな兵器を与えるべきかを判断するのはわれわれの仕事だ、と怒鳴るというより訴えるという感じでした。
むろんアメリカからの圧力が凄まじかったのでしょう」だが、O磯正美が指摘した皇大な原則破りが行われたのは、制服組の自主開発への願望をよそに、共同開発の調印が行われた後なのである。 八九年という年は、本来なら
調印に基づいて開発に着手すべき年なのだが、年が明けるや俄様雲行きが怪しくなった。 わが国の自主開発派が巻き返したのではない。

一月三十一日、ヘルムズ、マコウスキー−(以上共和党)、ピンガマン、ディクソンオード(以上民主五人の上院議員がブッシュ新大統領に、日本のSX開発にアメリカが技術協力することを再検討せよとの書簡を出したのだ。 二月二日には、バード前院内総務(民主党)、ダンォース(共和党)、ヘルムズ簡をブッシュ大統領に出した。
もともと日本側が自主開発でいくつもりだったのを、強引に共同開発に転換させ、政府間のM0U調印までしておきながら、その共同開発がケシカランと潰しを謀るとはどういうことなのか。 その後の逆流は凄まじかった。
「共同開発反対」運動は、当初は議会内の、いわば常連タカ派議員たちの反日デモンストレーションにすぎなかったが、二月十二日には、何と政府までがSX日米共同開発問題について、その是非を再調査すると決めたのだ。

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